金銀糸とは・・・
金銀糸の歴史・その他

歴史考・紙との出会い

 金銀糸・平箔が今日の形状に至るまでには、様々な変遷を経てきています。その中で紙との出会いを無視するわけにはいきません。紙の発明は文明のさまざまな分野に大きな発展をもたらしましたが、金銀糸・平箔の発達にとっても大きな影響を及ぼしてきています。

 古来、金銀の装飾を施すにあたり、まずはそのものを板状にし縫い付けることからはじまったと思われます。それからさらに薄く打ち展ばし切金状にしたものを織り込むようになっていきました。中国ではこの切金状のものを絹糸に巻きつけて撚り金糸として用いることもあったと思われます。

 やがて紙を漉くという技法が生まれ、この漉き紙に薄い金銀箔を貼り、細く裁断して糸状にしたものが”箔糸”です。箔糸はそれまでの切金状の金銀糸とは違って箔の薄さを保つことができ、織物の風合いや、しなやかな絹糸によくなじむことができたのです。残念ながら、箔糸がいつ考案されたかはよく判りません。

 貼り付ける紙や接着の技法は、さまざまな創意・工夫を経て発展していきます。耐熱性、防湿性、耐久性、表面光沢を追求する緻密性、改良をかさね洗練度をくわえて近代に至っています。

 明治時代になり、近代化が進みます。金銀糸・箔の業界は西陣織の発展によって、急速に促進されることとなりました。ジャカード機の普及により、需要は急激に増加していきます。金銀箔はもとより、明治中頃開発された安価な錫箔は大量生産を促しました。分業化・機械化は各々の工程にいちだんと磨きをかけることになります。

 明治~大正時代に移り行くなか、模造金銀糸(マガイ)の開発、輸出貿易のはじまりなど、需要に拍車がかかるにもかかわらず紙は手漉きのままです。技術を要する手漉き紙を簡単に増産するわけにはいきません。このような時、金糸用の和紙を機械で漉くことができるようになりました。大正の8~9年ごろです。

 当初は雁皮、三椏を主に製造されていました。(紙幣に用いられている成分とほぼ同じです)のちに三椏を主に少量のマニラ麻を用いるようになりました。そしてさらに研究・開発がなされ、今日の真空蒸着製品にまで至っています。

 

 

 


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