平等院で発見の金糸入り織物
以下は京都新聞2010年11月12日の記事から記載したものです。(認可済み)
写真は平等院提供です
平等院・阿弥陀像から発見の織物
宇治市の平等院の国宝阿弥陀如来坐像の台座から見つかった絹織物の小片が、平安時代に貴族が珍重した唐織物とみられることが11日までに分かった。古代の錦織とは異なり、綾錦に金糸や色糸が織り込まれている。清少納言が「枕草子」で「めでたき物、唐錦」と書いた美しい織物だった可能性があると、関係者は夢を膨らませている。
金糸織り込む最古級
平等院によると、絹織物は2004年の修理の際に見つかった縦約1cm、横10cm未満の裂など12片。平等院が小笠原小枝日本女子大教授(東洋染織史)に調査を依頼した。
裂は紫とみられる綾錦の地に金糸や黄、緑、などの色糸を部分的に使ったり、通し糸にして文様を表している。奈良時代の正倉院裂などと織り方や金糸が異なる多色織で、平安~鎌倉期のものと推測される。
金糸は金箔を紙の両面に張る両面箔糸で、当時の日本には技術がなく、中国から伝来したとみられる。両面箔糸を織り糸に使った例はこれまで13世紀以降にしかなく、最古の可能性があるという。
源氏物語や枕草子に「唐綾」や「唐錦」との記述があり、平安時代に中国(宋)から渡来した新しい織物を指すと考えられている。唐織物とされる裂は、清涼寺(京都市右京区)に僧奝然(ちょうねん)(938~1016)が宋から持ち帰った綾などがあるが、「唐
綾」や「唐織」とはどのような織物かは詳しく分かっていない。
小笠原教授は「新しい織物が伝来し、その後の日本織物に影響を与えたのでは。貴族の服を作った後の端切れで、経文を入れる小袋を作り、仏像に納めたのかもしれない」と話している。
(今口規子)
注=記載文は京都新聞社から認可を受けたものです。また写真は平等院から提供されたものです。無断で転用なきようお願い致します。